![]() |
![]() |
|
ご注文・体験のご予約は、お電話でも受付けております。 |
![]()
明治28年(1895年)、当時明治政府の西欧に追いつけ追いこせが奨励されていた時代、鉄道事業も全国的に盛んでした。官鉄(国鉄)は走っていましたが、小田原・熱海はルートから外れていました。
当時、熱海は温泉宿が盛んな保養地で、政財界の大物や文人がよく訪れていた場所でしたが、東京・横浜方面から熱海に行くためには、旅籠か人力車によるか、歩くか、いずれにしても海沿いの険しい道を行くしかありませんでした。 そこで、熱海の旅館業主を中心に地元有志や、京浜の実業家が小田原熱海間に鉄道計画を興し、経費も安く、安値であったことから人車鉄道を建設しました。 ![]() 当時の人車鉄道が走っている風景を写した写真
湯河原温泉の都会の喧噪から離れた自然豊かな土地は、文豪と呼ばれる数多くの文人たちに愛されました。そんなゆかりの人物のひとりである、國木田独歩の作品に「湯ヶ原より」という作品があります。人車鉄道が温泉地へと向う乗り物として、描写されています。
![]()
当時の残された図面から、細部に至るまで再現したものを味楽庵で展示しています。店頭で実寸の人車を是非ご覧ください。また、人車の車輪をイメージした形の、「人車もなか」も販売しております。お土産品に最適です。コチラでもお買い求めになられますので、是非ご利用ください。
|
Copyright© 2011 mirakuan.com
|